2021年7月23日〜8月8日、8月24日〜9月5日に開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会。一年延期し開催された大会は、新型コロナ感染対策を行い無観客という異例な条件のもとに行われました。そのような措置のなか、世界各国の代表選手らは熱い戦いを繰り広げ、さまざまな物語が創られました。大会の陰には選手や関係者を支えるボランティアの活動が挙げられます。そのなかの医療系ボランティアは医師が中心となり、選手らのケアや診察を担当しますが、東京大会では史上初めて鍼灸師が参加しました。本会から参加したのは副会長の児山俊浩先生。その貴重な体験談をお届けします。
(この記事は日本鍼灸新報No.682 と重複しますが、あいしんletter 用に一部加筆し編集しています。また、文頭★印部は新報No.682の同記事に詳細が記載されていますので、併せてご覧ください)
■もうすでに一年近くの時が経っていますが、ボランティア活動たいへんお疲れ様でした。当時を思い出しながらお聞きしたいと思います。初めに、今回の参加のきっかけは何ですか?
2017年の「日本鍼灸師会スポーツ鍼灸トレーナー講習会」、2018年の「日本鍼灸師会スポーツ鍼灸トレーナー実地研修会」などを経て、日本鍼灸師会から参加募集があったので申込みをしました。
■鍼灸師としてボランティア登録するには試験があり、たいへん難しかったと聞きます。どのような内容でしたか?
7日間以上の協力や5年以上の実務経験、英語でのコミュニケーション能力など一定の基準があり、書類に必要事項を記入し申込みをしました。その後、JOCによる面談試験がありました。面談試験では、応募内容や活動条件の確認、医療知識やこれまでのスポーツ現場での活動内容、医療連携実績、世界での鍼灸、トップアスリートへの鍼灸経験などについて問われ、ネイティブがチェックする英会話の試験もありました。
■とても厳しい様子が想像できます。合格してから、大会当日までの事前研修にはどのようなものがあったのでしょうか?
★大会の活動までに、オンラインと実地での会場別研修、ならびにeラーニングでのメディカルスタッフ研修を受けました。eラーニングメディカルスタッフ研修の内容は、「共通研修」、「MEDオリエンテーション」、「救急医療総論・各論」、「選手用医療総論・各論」、「技能講習」など80項目以上からなる膨大な事前研修でした。また、実地研修の内容は、「理学療法部共通研修」、「マッサージ・はり部門専門研修」と、リアルに現場の流れを把握するために必要なものでした。
■研修だけでも相当時間がとられそうですが、トータルで何時間ほどかかりましたか?
オンライン会場別研修が2時間、実地の会場別研修が5時間15分でした。eラーニングのメディカルスタッフ研修は、項目と時間がとても多かったので、はっきりとした総時間がわかりかねますが、2か月半の期間をかけてこまめに受けました。

▲晴海選手村(本村) オランダ選手団
■仕事や研究の合間を縫っての研修だったんですね。次に、実際に活動した期間と時間、期間中の宿泊場所、活動場所を教えてください。
オリンピック期間の2021年7月31日(土)〜8月2日(月)、4日(水)〜7日(土)7時〜16時に晴海選手村(本村)総合診療所(以下、ポリクリニック)で7日間活動し、パラリンピック期間の8月26日(木)14時〜23時、9月2日(木)7時〜16時に2日間同ポリクリニックで活動しました。合計9日間の活動でした。
オリンピック期間は三井ガーデンホテル銀座五丁目に、パラリンピック期間はコンフォートホテル東京清澄白河に宿泊しました。
■宿泊は選手村じゃないのですね。ポリクリニックはどんな感じでしたか?
★同ポリクリニックには、診療部門・理学療法部門・薬剤部門・放射線部門・検査部門・看護部門があり、理学療法部門の「スポーツマッサージ・鍼療法室」で活動をしました。
宿泊所からポリクリニックまでの所要時間は約1時間〜1時間10分で、駅から入村までが徒歩約20分、入村からポリクリニックまでが徒歩で約20分かかります。真夏の炎天下、荷物(ポリクリニック内に自動販売機がないため水などを持参)を持ち、医療用サージカルマスクをつけて通いました。ポリクリニックに到着するとすでに汗だくでした。
■施術活動前に倒れそうです・・・。 ポリクリニックの施術設備などは過不足なく整っていましたか?
★鍼灸針・消毒用備品・医療用廃棄などの施術設備はしっかりと整っていました。パルス機器や治療点検索測定器も用意されていました。
■灸や温熱による施術機器などはなかったのですか?
灸や温熱機器はありません。鍼でのケアのみです。
■当時は新型コロナ感染者が多かったと記憶しています。感染予防対策はどうされていましたか?
東京での新型コロナウイルス新規感染者数が、5千〜6千名に増え続けている状況下でしたので、医療用サージカルマスク・N95マスク、医療用ゴーグル、フェイスガード、グローブの着用、手洗い、手指消毒、1時間ごとの椅子・机・ペンなどの備品の消毒、ベッドメイキング時でのシーツやタオル毎回交換、ユニフォームは現地で着替えて洗濯に出し外に持ち出さない、毎日のメディカルスタッフのPCR検査など徹底されていました。また、大会開催前に都庁で新型コロナウイルスワクチン接種を2回受けることができました。

▲マルチファンクションコンプレックス1F ポリクリニック
■やはり感染対策は厳しく行われていたのですね。次に鍼施術の流れを教えてください。
鍼施術時間は20分間で、鍼の使用本数は約20〜30本でおこないました。スポーツマッサージ・鍼療法室受付で選手がカルテを記入し、鍼灸師は選手と共に医師の診察に同行し、医師の鍼施術の許可がおりてから鍼療法室へ案内します。施術の手順は、問診ー鍼施術ー選手へのフィードバックの順でおこないました。施術方法は、基本的には筋骨格系の施術で、かつ切皮程度の浅刺と決まっていました。なお、鍼を受けられるのは自国で鍼を受けた経験がある選手に限られました。
■どのような症状の方が来所されましたか?
症状や要望は、腰背臀部・頚肩部・大腿・下腿部、手・肘・股・膝・足関節などの痛み、張り、しびれ、だるさ、可動域が悪いことが多く、坐骨神経痛などもみられました。また、パラリンピック選手の中には、腎機能不全や消化器機能低下に対しての機能改善などの要望があったため対応しました。また一方では、ストレスを訴える選手もみられました。なかでも、医師からどうにかならないかと鍼へ誘導された選手がいて、足底部の多汗症を主訴とする選手を診ました。リードの先生からは東洋医学的な施術でないと対応できないので、と依頼を受けて経絡治療を施しました。足底部の汗による皮膚のただれや痛みがありましたが、施術直後には足底部の汗がひき痛みも軽減したので、選手が笑顔になり喜んでくれたことがとても心に残りました。
■鍼灸(児山先生の施術か!)の面目躍如です!ところで言葉の問題はありませんでしたか?
★ほとんどの選手には、英語でのコミュニケーションをおこないました。なかには英語が話せない選手もいましたが、その場合は翻訳機「ポケトーク」で問題なくやりとりができました。中南米、中東、アフリカなどの選手が多く、ヨーロッパの選手なども受けられました。なお日本人選手は、ほとんど来られませんでした。競技種目はさまざまで、新型コロナウイルス感染対策として競技終了後48時間以内に出村しないといけないこともあり、その時点でおこなわれている競技の選手がよく受けられました。
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▲スポーツマッサージ・鍼療法室
■日本の選手がほとんどないとはちょっと寂しいですね。一日の施術人数はどれぐらいでしたか?
★鍼の施術人数は、少ないときは2〜3人程度で、多いときは5人施術しました。鍼灸師が入るのは選手村本村のみで、鍼灸師1人体制(早番1名・遅番1名)でした。早番と遅番シフト両方合わせた1日での鍼施術人数は、平均5〜8名程度でした。鍼を受けられた総数は、オリンピック期間で147名、パラリンピック期間で152名でした。
■鍼灸師は一人だけ!?ところで選手以外も施術を行いましたか?
選手のドクターやコーチからも要望があったため鍼施術をおこないました。ドクターやコーチの方は、タイトなスケジュールで張り詰めた時間が続くことから、疲労やストレスなどの訴えが多くありました。ドクターやコーチが鍼を受けた後に、選手を連れて来ることもありました。
■医師やコーチが受けたということは選手へも安心して勧められそうです。施術をうけた方々はどのような反応でしたか?
★選手たちは、とても鍼施術を受け慣れていました。鍼のことをよく理解している選手が多く、なかには鍼を受けて自国の鍼と日本の鍼との違いを知り、日本の鍼が繊細でよく効くという方もいました。身体のケアに鍼を取り入れている選手が、世界的に広がっている印象を受けました。

▲施術後は、たくさんの海外の方々と慣例のピンバッジ交換
■オリ・パラに出場するアスリートとなれば鍼に対する身体の反応も良さそうですね。施術時のルールとして切皮程度の浅鍼とお聞きしましたが、深めに刺入することもあったのでしょうか?
いいえ、切皮や接触鍼程度の刺激でした。鍼に対する身体の反応はとても良くて、施術後に選手が動きや痛みなどの症状の改善を実感していました。

▲東京大学医学部附属病院リハビリテー ション科副科長・講師・医師・医学博士 藤原清香先生
■次に現場スタッフの方々についてお聞きします。鍼灸師以外のメディカルスタッフとの共同作業だったのでしょうか?
医師・看護師・理学療法士・マッサージ師・レントゲン技師・アスレティックトレーナー・ストレングスコーチなど多職種との連携がありました。実際に、理学療法士やマッサージ師の施術ののちに鍼を受診される選手もおられましたし、その逆もありました。また一方で、フィットネスセンターがポリクリニックのあるマルチファンクションコンプレックスの3階にあるため、身体のケアとコンディショニングトレーニングを連携しておこなうこともありました。施設の構造的にもスタッフ間における多職種連携が、とてもおこないやすかったです。多職種間相互で選手をサポートする体制でおこなっており、アスリートファーストを大事にしていました。
■鍼灸師から見て他のメディカルスタッフはどのように感じましたか?
メディカルスタッフは、各々がスペシャリストですばらしい先生ばかりでした。専門的な内容や選手に対するアプローチ方法などについてお聞きすることができました。医師や理学療法士が同じ区画にいるため話しやすいので顔の見える関係がつくりやすく、信頼関係ができていきました。「選手にとって今何を提供するのが必要か」を第一に考えて行動しているのが、特にすばらしいと感じました。
■また、メディカルスタッフから鍼灸師はどのように見られていたと思いますか?
時間があるときに医師や看護師・理学療法士・レントゲン技師・アスレティックトレーナー・ストレングスコーチが鍼療法室まで来られ、鍼灸について興味を示されました。鍼灸について施術内容やメカニズムなどをご説明させていただきましたが、選手に鍼灸をすすめてくださった先生もいらっしゃいました。鍼灸について良く知っていただくことにより、医療連携がスムーズになることを実感しました。
■医療関係者で鍼に興味があっても、実際に見聞きする機会は少ないように思えます。現場で顔が見えて情報共有を行うことは基本であり、大切なことなんですね。

▲メディカルスタッフの方々
■今回のボランティア活動で感じたことをお聞かせください。
最高峰の舞台に人生をかけ調整してきている選手たちに鍼施術をさせていただいた経験は、負傷部位や対応方法、コミュニケーション、空気感などに関して、この選手村ポリクリニックでのリアルな現場でしか得られないものがありました。この経験は、一生忘れることはないと思います。鍼灸師としてこの先もつながる貴重な経験となりました。選手が喜んでいただけることが、何にもかえがたい喜びでした。
■印象に残ったエピソードがあればお願いします。
母校の大学で私も所属していたウエイトトレーニング部の先輩が、パラリンピックのパワーリフティング選手として出場、ポリクリニックに来てくださり、鍼灸師としてサポートができたことには感極まりました。14年ぶりの再会で、施術している時間がまるで夢のように感じました。身体はかなり酷使され、両肩(特に左側)、右肘(手術2回)の痛みと違和感がありましたので、できうる限り良い状態になるよう施術いたしました。先輩は本番では自己ベストを出し、ベンチプレスで162㎏を成功されました。先輩の勇姿に感動しました。

▲パラリンピックパワーリフティング男子72㎏級 宇城 元選手
■お〜 そんな物語があったんなんて出来すぎです(笑)
最後にお聞きします。鍼灸師として、(オリ・パラに限らず)ボランティア活動は今後も続けますか?
これまでに、ケニアやネパールの医療の行き届かない無医村への鍼灸ボランティア活動をしてきました。また、東日本大震災や熊本地震などの災害時での鍼灸活動もおこなってきました。そして、スペシャルオリンピックス、至学館大学レスリング部、全日本歯科医師テニス大会などのスポーツに関してもさまざまな鍼灸活動をしてきましたが、スポーツ・開発途上国・災害・海外などを問わず、今後も自分のできることがあれば、おこなっていきたいと考えています。
■貴重な体験談をありがとうございました。

▲オリンピック参加証明書

▲パラリンピック参加証明書
なお、東京2020大会が終わってから、ボランティア活動として参加していたメディカルスタッフには、今回は手当が支給されることに変更となりました。
インタビュアー 広報普及部 佐合基樹
※写真は日本鍼灸新報No.682 より一部引用しております。
『あいしん Letter Vol. 7』(2022年下半期 一般社団法人 愛知県鍼灸師会発行)より引用